中央アジアの絨毯-トルクメン
テュルク系のオグズ族がモンゴル高原から中央アジアに移動してきたのは8世紀のことと考えられている。トルクメンの起源は、9オグズ(トクズ・オグズ=九姓鉄勒)のオグズ同盟に遡り、かつてトゥルクマーンと呼ばれていた部族の末裔と考えられている。
しかし、自らの文字を持たないトルクメンの歴史は判然とせず、憶測の域を出ない。トルクメンの絨毯織りの技術は確かに優れており、パズィルィク絨毯の中央アジア起源説なども気になるところである。トルクメニスタンのスムバル渓谷で紀元前2千年紀の住居址から出土した青銅製のナイフは、トルクメンの使用する鉄製絨毯用ナイフ(ケセル)に類似しているといわれている。
トルクメンには、テケ/テッケTeke/Tekke、ヨムートYomut/Yomud、エルサリErsari、サロル/サルィルSalor/Salyr、サルィクSaryk/Saryq、チョウドルChowdor/Chaudor、ギョクレンGoklenなど、ほかにも数多くの諸部族がある。テケ族が最多を占め、サロル族は軍事的敗退で勢力を失い、残る絨毯も希少なものとなっている。
トルクメンは14-16世紀にカスピ海東南岸で遊牧、農牧に従事し民族形成を行ってきたと考えられているが、19世紀後半のロシアとの確執、20世紀初めのソ連の南下など、部族は拡散し、トルクメニスタンやウズベキスタンをはじめ、イランのホラーサーンやアフガニスタン北部にも居住する。これら民族にはギュル/ギョーリと呼ばれる各部族特有の文様があり、絨毯の文様にも反映されている。
絨毯は濃い赤が主調色となっており、多角形(八角形)のギュルの反復柄が中心で、かつてその紋章の形象から「象の足跡」などと称されることもあった。ギュルの大きさは時代とともに小さくなり、百年ほど前まで差し渡し40cmほどあったものが、近年では20cmを超えるものも見られなくなったといわれている。
トルクメンの絨毯、とくに意匠に関しては、その集積地であったブハーラーの名を冠することも多い。織りはテュルク系ではあるが、左右非均等結び(ペルシア結び)もあれば、左右均等結び(トルコ結び)もあり、織り機は遊牧の伝統を受け継ぐ水平機を使用している。今日残されているふるいトルクメン絨毯でも、18-19世紀のものである。また絨毯のほかにさまざまな染織品があり、それぞれ特有の名称をもつ。
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