top of page
執筆者の写真数寄の絨毯

空飛ぶ絨毯に秘められた歴史-16

トランスオキシアーナでは、ジンギン・カーンのモンゴル大軍勢による空飛ぶ絨毯の永久消滅に至るまで、束の間の復興を楽しんだとされる。ここでは特筆すべき2つの出来事があった。1213年、東ペルシア、ホラーサーン州のベヘローズ王子が若いユダヤ女性のアシーラーに心を囚われた。彼女の父は熟練した絨毯職人であった。ベヘローズは家族の願望に反してアシーラーと結婚し、義理の父に最良のウールと最良の粘土を用いて、より頑丈にするため竹の枠の上に特別に巻き上げた、2ダースの空飛ぶ絨毯を織るように頼んだ。


次回3/27

閲覧数:5回0件のコメント

最新記事

すべて表示

シリーズ解説-パフラヴィー期のペルシア絨毯[4]

イスファハーン地区では、オスターデ・カール(親方)は出機の織り手のために大量の原材料を提供する。しかし、製作される絨毯の事前の権利をもつという古いピーシュフォルーシュ(前売り)の習慣は、そこにはもう存在しない。織り手は彼に金の支払い義務があるが、望めば絨毯を売るかもしれない...

シリーズ解説-パフラヴィー期のペルシア絨毯[3]

市場取引の構造は、このように仲介代理店に重く頼り切ったものであり、織り手が自立していようが、下請けで働いていようが、彼あるいは彼女はそのような仲介代理店と交渉しなければならない。とくに中間サイズ(2.5×3.5m)の絨毯の販売は、輸入国の相当な価格の柔軟性に左右されることが...

シリーズ解説-パフラヴィー期のペルシア絨毯[2]

絨毯生産の組織化 1階建ての建物に20台の織り機を収容し、20人から60人の織り手、そして監督者がいるという工場での製織は、ペルシアでは常にほんのわずかしかなかった。このタイプの組織化は、よりよい品質管理が可能な許容範囲のものであるが、労働法の施行をより多くの条件とするもの...

Comments


bottom of page