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ペルシャ絨毯の通販サイト/ 数寄の絨毯 (すきのじゅうたん)
ペルシャ絨毯の通販サイト【数寄の絨毯】| 分かりにくいペルシャ絨毯の質と価格の関係を丁寧に解説。 適正評価による適正価格での販売を心掛けています。ペルシャ絨毯の商品価値、美的価値をご理解いただいてから、お買い求めいただけるようご提案させていただいています。
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PERSIAN CARPET
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ペルシア絨毯情報
ペルシャ絨毯の主要産地と沿革
西ペルシャの絨毯
イランには絨毯の産地が数多く存在し、産地名を冠して個別の絨毯の商品名のような役割を果たしています。産地の名でひとつのイメージが形成されるほど、流通上大きなウェイトがあり、主要な都市はもちろん、専門的には小さな町や村の名さえ、取引上のバロメーターとして扱われてきました。ペルシア絨毯の品質評価や取引価格に大きな影響を与えてきた…これら数多くの絨毯産地の中から、西ペルシアの主要な絨毯産地について解説します。
西ペルシアの主要な絨毯産地とその沿革
19世紀後半から20世紀にかけての欧米の絨毯需要に対応するため、重要な供給源となったのが西ペルシア。この地域には、数多くの部族民が暮らしており、彼らが手織る絨毯の中には部族民の名を冠したものや地域名を冠したもの、あるいは商品ランク付けによって命名されたものなど、産地名と合致しない絨毯も数多く存在する。

◆ハマダーン HAMADAN
ハマダーンは、古代にエクバタナ(ハムグマターナ)と呼ばれ、ヘロドトスの『歴史』や『旧約聖書』にも著述されている「集合の場所」を意味する町である。その名に因るわけではないが、ハマダーンはハマダーン州一帯、またコルデスターン州のセンネやビージャールからの絨毯の集積地ともなっている。16世紀シャー・タフマースプは、オスマンのシュレイマン大帝にハマダーン北部のデルジャズィーン産の絨毯を贈ったという資料も残されており、この地に古くから絨毯づくりの伝統があったことを物語っている。ハマダーンの街にも工房は存在するが、ハマダーンの絨毯は主にハマダーン周辺の平野に散在する数十の小さな村でつくられており、一部で良質のものが見受けられる一方、粗い織り密度の絨毯も多く、玉石混交といったところである。
◆サールーグ(サルーク)
SAROUGH/SARUQ
サールーグは、アラークの北、ファラーハーン地方の西にある村だが、このあたりでつくられる絨毯の良質なものに対する呼び名として使われることもある。パイルを短く刈り込んだメダリオン文様のものが中心だったが、第1次大戦後は、市場をヨーロッパからアメリカに切り替え、「アメリカン・サールーグ」と呼ばれる明るいローズ系の地色に華やかな花柄、毛足の長い絨毯が数多くつくられるようになった。これがブームとなり、ハマダーンやケルマーン、マシュハドなどでもこのデザインを採用し始めた。近年は、ふたたびヨーロッパ市場が復活し、アメリカ柄よりも伝統柄が中心となっている。
◆ビージャール (ビジャー) BIJAR
ビージャールは、コルデスターン州にある緑豊かな町で、15-16世紀にはシャー・イスマーイールの荘園として数多くの農奴をかかえていたが、第1次世界大戦の間、ロシアとトルコの占領下におかれ、1920年頃の大飢饉に遭遇し人口が激減してしまった。ここでつくられる絨毯は「鉄の絨毯」の異名をもつように、3本の横糸を通し、巨大な鈎爪のような特殊な緯打具でパイルを強く打ち込むため、堅くて重く、折りたたむことさえままならない、世界でも類を見ない耐久性を持ちあわせている。デザインはいろいろ見受けられるが、近年のものは、六角形のメダリオンとヘラーティー文の組み合わせのものやヘラーティー・パターンのアフシャーンが中心となっている。古い絨毯としては18世紀頃のものがあり、19世紀末から20世紀初めにはコルド(クルド)族の支族であるギャッルース族の名に由来する特徴あるアラベスク文のギャッルース・デザインの絨毯がよく知られる。
◆センネ(セネ)/サナンダジュ
SENNEH/SANANDAJ
今はセンネという地名はなく、コルデスターン州の州都サナンダジュが該当する地として通っているが、こと絨毯に関しては未だにセンネという名が通用している。住民のほとんどがクルド人の支族であるグーラーニー族だが、織られている絨毯は他のクルド人がつくるものとは異なり、横糸の数は1本、密度の高い織りで、パイルを短く刈り取った薄い仕上がりの絨毯となっており、見かけも、細かいボテ文やヘラーティー文の反復柄や少し角張ったメダリオン・コーナー・デザインなどの洗練された意匠が採用されている。近年ますます生産量は減少し、希少な絨毯となっている。因みにセンネ(ペルシア)結びの語源とはなっているが、織られている絨毯はトルコ結びである。
◆ファラーハーン Farahan/Feraghan
中央ペルシアと西ペルシアの中間地域にあたるファラーハーン平原で、19世紀に西欧、とくに英国で人気の高かった絨毯である。主なデザインは総柄のヘラーティー文で、さまざまな反復花文の意匠もある。ヘラーティー文の色調を変えてメダリオンの構図に仕上げた絨毯も見かける。また、メダリオンとして日輪 (sunburst)を象ったギザギザの特徴的なメダリオンもつものもある。織りはトルコ結びとペルシア結びの両方が見られる。
◆アラーク/ソルターナーバード
Arak/Soltan-abad
マルキャズィー州の州都で、かつてソルターナーバードと呼ばれていたが、1938年にアラークと改名した。ソルターナーバードは、19世紀末、海外資本による絨毯産業進出のフロンティア的拠点となった。1881年にズィーグラー商会が絨毯工場を設置して、それに続きドイツやアメリカもこの周辺地域に資本を投入し、工場のみならず、出機も含め一大産業と化した。
◆ガズヴィーン Qazvin
3世紀、サーサーン朝の時代に建設された町で、サファヴィー朝の初期、タブリーズから遷都し、1548年から1598年の間、この地が都となり、絨毯工房も設けられていた。第一次大戦と第二次大戦の間に、サールーグによく似たメダリオン文様絨毯がつくられていた。
◆ケルマーンシャー(ケルマンシャー)
Kerman Shah
イスラーム革命後バーフタラーンと地名は変更されたが、何故か昔のままのケルマーンシャーが使用されている。ハマダーンからバグダードへの「王の道」の途上にあり、ビーソトゥーンやターゲ・ボスターンも近い。住民の大半はコルド(クルド)人で占められ、絨毯もコルドの村から集まってくる綿組織でトルコ結びのものが中心となっている。
◆マラーイェル Malayer
ハマダーンの南に位置する古くからの絨毯産地である。多少幾何学的に様式化されたアフシャーンをはじめ、メダリオンやヘラーティー文、ボテ文の絨毯が織られており、サールーグに匹敵する絨毯もある。織りは綿組織シングルウェフトのトルコ結びである。
◆サラーバンド Saraband
アラークの南西地域で小さなボテ文の総柄絨毯が織られており、サラーバンド・ミールあるいはミーレ・サラーバンドとして知られている。織りは綿組織のトルコ結びである。
◆エンジェラース Enjeras
ハマダーンの少し南東の村にはトルコ系の部族民が居住し、ヘラーティー文やボテ文の総柄絨毯をつくっている。織りは綿組織のシングルウェフト、トルコ結びである。
◆タフレシュ Tafresh
ハマダーン地区の東縁にあり、ユニークなメダリオン絨毯がつくられている。織りは綿組織のシングルウェフトが中心となっている。